2010年8月22日日曜日

清凉寺 (せいりょうじ) 嵯峨釈迦堂 (さがしゃかどう)

 
嵯峨釈迦堂 (さがしゃかどう)

嵯峨大念仏狂言
壬生狂言や千本ゑんま堂狂言とともに京の3大念仏狂言の一つで、重要無形民俗文化財。円覚上人が生き別れの母に会いたいと祈念して始めたといわれます。

嵯峨の釈迦堂’で知られる浄土宗の古刹。987年(寛和3)然(ちょうねん)が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺に、師が 宋より請来の釈迦如来立像を安置した。体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれている。
建立:895(寛平7)年頃


清涼寺(山門)
清涼寺(山門) posted by (C)テツさん


清凉寺01
清凉寺01 posted by (C)escassy


嵯峨釈迦堂・清涼寺掲額
嵯峨釈迦堂・清涼寺掲額 posted by (C)ふくふく鯛


清涼寺(本堂)
清涼寺(本堂) posted by (C)テツさん


嵯峨釈迦堂
嵯峨釈迦堂 posted by (C)のりりん


嵯峨釈迦堂
嵯峨釈迦堂 posted by (C)のりりん

この寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。この地には、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる、822年 - 895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置した。一説では、「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。


清凉寺
清凉寺 posted by (C)miho


嵯峨釈迦堂
嵯峨釈迦堂 posted by (C)のりりん

棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん、938-1016)という東大寺出身の僧がいた。奝然は、宋へ渡航中の985年、台州の 開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造ら せたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。奝然は、永延元年(987年)日本に帰国後、京都の愛宕山を 中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとした。奝然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、南都系の旧仏教 の都における中心地としようとしたものと思われる。すなわち、都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方 に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、という意図が込められていたとされる。しかし、その願いを達しないまま長和5年(1016年)、奝然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。
嵯峨釈迦堂
嵯峨釈迦堂 posted by (C)のりりん


嵯峨釈迦堂の紅葉
嵯峨釈迦堂の紅葉 posted by (C)のりりん


嵯峨釈迦堂
嵯峨釈迦堂 posted by (C)のりりん

住所
右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46

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